堀内 恒夫
- ホーム
- ライブラリー
- スペシャルインタビュー
- 堀内 恒夫
巨人不滅のV9エース
巨人のV9のエースとしてプロ野球の歴史に名を刻んだ堀内恒夫氏が
「プロ野球チームをつくろう! ONLINE2」に登場する。
昭和40年代はまさに球界のエースだった堀内氏はセ・リーグ最後の25勝投手(72年=26勝)でもある。
また投手史上初の3打席連続アーチ、日本シリーズでの2発などバッティングでも
素晴らしいものを見せ、ファンを魅了した。
いまは「野球つく」のように野球をゲームで楽しんでいる方が多くいます。
- 堀内
- 僕らの現役時代では考えられなかったことだね。ものすごいものができていると思う。僕らの頃は野球盤だから(笑)。こんなリアルに選手の特徴をとらえて、見られるということは考えられないよ。僕らの年代だと年齢的にマスターするのも大変そうだね。
そんなに難しくはないです。自分がオーナーになってチームを運営する楽しさが魅力のゲームです。
- 堀内
- 一般の人たちはプロ野球の監督にはなれないし、こういうゲームの中で自分でチームを作っていけるというのが夢じゃないかな。普通では経験できない世界をゲームでできるというのが面白いですね。
ゲームでは選手カードをポイントで取得するのですが、どんな選手を引き当てるかまったく分かりません。堀内さんのプロ入りの時には新しく始まった「ドラフト」でした。
- 堀内
- ドラフトは契約金の高騰を防ぐため、それから戦力の均等化を図るためという2つの目的があった。でもはっきり言ってどんなものか、まったく分からなかった。他の人もそうだったんじゃないかな。
巨人初代のドラフト1位として入団。開幕一軍入りしてチーム6試合目(66年4月14日)の中日戦で初登板初先発初勝利でした。
- 堀内
- 一つ勝って、次の試合(19日、広島戦の二番手)でヒット、四球で交代させられ二軍に落ちたんですよ。5月の下旬に一軍に戻ってきて、2勝目を挙げたのが5月30日(大洋戦)。その試合から無失点記録が始まった。
44回連続無失点のルーキー記録ですね。
- 堀内
- その記録は先発だけじゃなかった。抑えの宮田征典さんが、肝臓を悪くして入院した。その時代は代わりのストッパーを置くという考えはなく、先発陣の若手に先発の合間をぬって投げさせるというやりかただった。ずっとゼロに抑えていたから防御率も0点台だったはずですよ(規定投球回に達した6月22日時点で0・15)。
その頃は「上がり」はなく、毎日ベンチに入っていたんですか?
- 堀内
- 完投すると次の試合は「上がり」なんだけど、登録メンバーには入っていた。広島戦(6月12日)のダブルヘッダーの1試合目に完封勝ちして、「宿舎に帰っていいよ」と言われた。宿舎で待っていたら電話がかかってきて「投げてくれ」と言われて、球場に戻って延長で投げたんだよ。これが後楽園でやっていれば、そんなことはないんだろうけど、宿舎が球場の近くだったから呼び出しを食らったわけ(笑)。
いまは中6日が定着していますが、その時代は連投も当たり前だったんですね。
- 堀内
- いまは先発の登板数は30前後でしょう。調子がいい時は投げたいんじゃないかな。1週間に1回じゃつまらないと思うけど。お客さんに感動なり夢なりを与えたいんだったら、もっと投げなきゃね。
連投ということで印象に残るのは、V9最後の73年の南海との日本シリーズです。第1戦は高橋一三投手が先発して完投負け。第2戦は倉田誠投手が先発して、堀内さんが7回途中からリリーフしました。
- 堀内
- 無死満塁の場面でレフトに犠飛を打たれて2対2同点になり延長戦。自分で決勝打(延長11回に中前打)を打って勝ち投手。
移動日を挟んで、第3戦は先発。
- 堀内
- 4回表に門田(博光)のライナーを右肩に受けたんだけどアウトにして、その後、止血してまた投げたんだよな。
バッティングでは3回裏に先制の本塁打。6回にも2ランを放ちました。
- 堀内
- 日本シリーズのゲーム2本塁打は野手でも少ないでしょう。相手捕手の野村(克也)さんがよく囁くんだよね。2本目の時はランナーがいたから、「今度はバントだろ」と言うから「サインも出てないから打ちますよ」と言い返したら、ど真ん中に投げてきた。それを叩き込んだ。
第4戦は高橋投手が完投勝ち。第5戦も倉田投手が先発して、7回表から、また堀内さんがリリーフし、いまでいうセーブ。2勝、本塁打2本、決勝打も1本で、2年連続のMVPでした。
- 堀内
- この年は12勝しかできず調子が悪かった。1、2戦は(高橋)一三さんと倉田さんで決まっていたけど、その後は未定だった。倉田さんがピンチになったところで、川上(哲治)監督が新浦(寿夫)か堀内で迷っていた。そこで、牧野茂コーチが「経験のある堀内がいいですよ」と助言し、僕が投げることになった。そのお陰でMVPだった。
5試合で3投手しか投げなかった日本シリーズです。
- 堀内
- 日本シリーズってこれでいいんだよ。1、2人いい投手がいたら絶対勝てる。昔は軸になる投手が1、3、5、7戦と出てきた。この時、仮に第5戦に負けていたら、第6戦の先発は僕だったんだよ。
いまでは考えられない投手起用ですね。堀内さんはバットでもチームに貢献していますが、67年10月10日の広島戦ではノーヒットノーランと投手では唯一の3打席連続本塁打という偉業も達成しています。
- 堀内
- あれは消化試合で、日本シリーズ用の調整で投げた試合だった。5回ぐらいで「ノーヒットノーランだぞ」という話になって、すでに2打席連続で本塁打を打っているから、そのまま投げさせろということになった。
6回の3打席目も本塁打でした。
- 堀内
- 4打席目も狙ったんだけど、カーブが外側に来て、センター前ヒットだった。あれがインコースだったら、もう1本打ってたよ。
ノーヒットノーランの方は?
- 堀内
- 四球でランナーを出していたんで、全然分からなかった。でも7回ぐらいからは意識したね。最後は藤井(弘)さんで、カウントが3ボール2ストライクになり、ベンチからは「歩かせろ」と言われたけど僕は「ノー」。ど真ん中に投げたら、左中間に低いライナーが飛んでいって、「やられた」と思ったら、レフトの相羽(欣厚)さんが左中間寄りに守っていて真正面。それで成立した。ノーヒットノーランなんて、いつでもできるなと思ってたんだけど、結局それしかできなかったな。
ノーヒットノーランは打者31人に対して、内野ゴロ10、内野飛球7、外野飛球7、奪三振3、与四球4の内容だった
現役時代に勝負を楽しんだバッターはいましたか。
- 堀内
- うちにON(王貞治、長嶋茂雄)という、球界トップのバッターがいたんで、あんまりいないかな。でも小さいバッターが嫌だった。中(利夫)さん、古葉(竹識)さん、高木(守道)さん、近藤(昭仁)さん、吉田(義男)さん。小さい打者はどうしてもゾーンが小さくなるので、力を加減して投げる。そうすると当てられてしまう。
では現役選手で対戦してみたいのは?
- 堀内
- どうかなぁ。高めを振る巨人の小笠原(道大)は抑えられると思う。メジャーの松井(秀喜)とはやってみたい。ローボールヒッターと対戦したいね。低めの球がどれだけ速く投げられるかというのが知りたいからね。
- 堀内 恒夫(ほりうち・つねお)
- 1948年1月16日、山梨県甲府市出身。
甲府商高では、1年の時に夏の選手権に出場。66年、巨人史上初めてのドラフト1位でプロ入り。開幕から13連勝、44イニング連続無失点もマークし16勝2敗、防御率1.39で最優秀防御率と沢村賞、新人王など受賞。その後もV9のエースとして君臨。78年まで13年連続で2ケタ勝利をマークした。80年6月2日のヤクルト戦で通算200勝を達成。83年限りで引退。その後、投手コーチなどを務め04、05年は巨人で指揮をとった。通算成績は560登板、203勝139敗6セーブ、防御率3.27。