野村 克也
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生涯一野球人
「プロ野球チームをつくろう!ONLINE 2」のスペシャルインタビューに、あの名将がついに登場! 3017試合出場はプロ野球最多記録。捕手としての世界記録となる657本塁打を放ち、監督としても3000を超える試合で指揮を執ると、さらには社会人チームでも指揮官に就任した、まさに日本球界が生んだ最強の野球人・野村克也氏だ。東北楽天ゴールデンイーグルスの名誉監督も務める野村氏に、選手育成の理念などを伺ってみた。
今日は「野球つく」の世界をお試しいただきましたが、いかがでしたか。
- 野村
- 正直、私らの年代にはパソコンというのがまったく分からない分野なんですよ。だからちょっと難しかったですね。
少々駆け足でのご説明でしたからね。また改めてご覧いただく機会があればと思います。さて、この「野球つく」攻略の重要な要素の一つが育成です。同じ選手でも、保持するユーザーが留学やスキルでどう育成するかで、まったく違う力を発揮することもあります。野村再生工場など、育成の名人といえばやはりすぐに監督のお名前が浮かびますし、ぜひとも育成についてお聞かせ願えればと思います。
- 野村
- 育成の基本って何だと思います?人を育てるということは、自信を育てるということだと私は思っています。だからまず最初に素質を見る。そして性格を知る。その前段階を経て、実戦では自信を育ててあげるんですよ。まずは自分の好きなようにやらせて、これではダメだということを分からせる必要がある。
自信を育てるとは、長所を伸ばすという部分が強いですか?
- 野村
- 長所を伸ばすというのは好きな言い方ではないですね。確かに良い部分を伸ばさねばならないのだけれど、長所の裏には必ず短所というものがある。いいものを持っているのに伸びない理由は、短所が邪魔をしているということ。そこをしっかり分からないといけないんです。
どんなに速い球が投げられても、ストライクが入らなければ……ということも同じですね。
- 野村
- そう。だけどそのスピードにしても、人間がすることだから、どうしても限界がある。日本人でどれだけ球が速いといったって、160キロを投げられる人はいないわけです。だからそこを伸ばすといっても、やっぱり150キロ台が限界になる。なのにいまのバッターは、150キロぐらいだと苦もなく打ってしまうからね。
確かにその通りです。
- 野村
- 私も楽天の監督時代、それで痛い目に遭いましたよ。08年の開幕当初、抑えをドミンゴに任せました。彼は150キロ台のストレートが売りだったからね。なのに開幕のソフトバンク戦で起用したら、柴原にサヨナラ本塁打を打たれてしまった。
開幕戦のサヨナラ弾は14年ぶりのことでした。
- 野村
- その翌日、試合前のメンバー表交換に行くと、王監督がニコニコしているんですよ。初戦を取ったから機嫌も良かったんだろうけれど、さらに「いまの選手たちは、150キロぐらいだと簡単に打ちますよ」って言われてしまった(苦笑)。でも、確かにその通りなんだ。極端な例だけれど、150キロでど真ん中に来たボールと、130キロだけど外角いっぱいに来たボール、どちらを打つほうが大変かと言えば、当然後者のほうが難しい。そこをしっかりと理解をしていないと、どれだけ頑張っても成長しませんよ。だけどそのことを、まったく分かっていない選手が多いのも、また事実です。
力だけではない部分ですね。
- 野村
- みんな毎年2月1日のキャンプインには「今年はやるぞ!」と気合いを入れて臨んでいるのだけれど、シーズンが終わってみれば、たいていは例年とさほど変わらない成績なんです。だから私がやかましく言ったのは「変われ」と。自分自身が変わる勇気を持ちなさいということなんです。上から投げてダメなら、横や下からでも投げてみればいい。そうやって自分でもあれこれ考えさせた後で、次はボールの握りなどをチェックしたりするんです。
一つひとつ見ていくのですね。
- 野村
- 原理原則を見据えてリーダーシップをとっていくというのが私の基本的な考え方で、世の中に存在するものにはすべて理がある。だから理にかなっていないことは嫌なんです。理にかなわないことをやって、仮にちょっと良くなったとしても、それは長続きはしません。ボロは必ず出るんです、プロ野球は長丁場の戦いだから。そういうことを、ミーティングでずっと選手たちには話してきましたよ。
プロに入る方は皆さん、野球の素質にも恵まれた、ある種エリートですよね。そうすると自分がどのようにして成長したか分かっているから、自分の中の常識というものもあると思うのです。その意識を変えさせるのは、確かに難しいことでしょうね。
- 野村
- ただやっぱり、プロとアマとはレベルが違うんです。日本中のエースと四番ばかりがプロにはやってくるわけだから、アマチュア時代の常識は通じない。一筋縄ではいかないんですよ。だけどその一方で、野球という競技がやっかいなのは、見る側からはすごく簡単そうに見えてしまうんです。実際にやってみると難しいんだけれどね。しかもサーカス的な要素がない競技だから、見るだけの人を感動させるというのは本当に難しいわけです。だから私の持論は、プロは当たり前のことを当たり前にやる、難しいことを簡単に見せるということなんですよ。
10回中、3回成功すれば良いと考えると簡単なようですが、実際には……。
- 野村
- そう。7回失敗しても一流だって世界が、他にどこにありますか? だから裏を返せば、それぐらい難しいということでもあるんですよ。最後の4割打者テッド・ウィリアムスがこう言ったんです。「プロスポーツで一番難しいのはバッティングだ」と。メジャーで4割打った人が言うのだから、それは説得力がありますよ。どこでもいいからただ打ち返すだけなら、それは簡単かもしれない。でもフェアーゾーンに打たなければならない、さらに8人が守っている間なり、頭上を越さねばならない。
しかも守備側の8人は、自由にボールを追って動けますからね。
- 野村
- それはもう至難の業です。だからこそ、アマチュア時代の常識が通用しないのは当たり前。ならば「変わる勇気」を持て、ということなんです。
とても分かりやすいですね。監督は捕手としてさまざまな投手のボールを受けてこられました。ブルペンなら良いのに試合では結果が出ないという投手も多かったのでは?
- 野村
- ブルペンエースってやつですよ。これは投手に限らないのだけど、野球選手にまず必要なのは心の強さです。気の弱い選手では通用しない。なぜならそれは、個々の性格じゃないですか。それは教えてどうなるものでもないし、直せるわけでもないんです。それよりは練習ではダメだけれど、試合になるといい、いわゆる実戦向きの選手というほうがいいんです。負けん気が強い、闘争心のある選手。やっぱり野球は勝負だから、気が弱くちゃ大成はしませんよ。
監督にゆかりがあって、気が強い選手というと、ジョー・スタンカ投手を思い出します。1961年の巨人との日本シリーズ第4戦における円城寺球審とのトラブルなど、気の荒さゆえのエピソードが多数ありましたね。
- 野村
- 実は彼は、冷静だとまったくダメだったんです。
本当ですか?
- 野村
- だからわざと怒らせていたんですよ。厳密に言うとボール球なんだけれど、きわどいコースに対して私が審判に文句をつける。「えっ、どこがボールだよ」ってね。そうすると、スタンカはだんだんカッカしてくる。そのほうが持っている力以上のボールを投げるんですわ(笑)。
ああ、なるほど。
- 野村
- そうでなくとも身長も196センチと大きくて、見た目からして恐ろしいのに、頭に血が上ると平気でビーンボールも投げるような男だったからね。当然、その怒りぶりは打者にもよく分かるから、みんな腰が引けちゃうんです。スタンカの迫力に負けちゃうんですね。
異名の赤鬼、そのものの迫力でしょう。
- 野村
- そう、赤鬼ですよ。首のあたりがどんどん赤くなってきてね。まぁ私も彼とは随分長く一緒に野球をやりましたけど、両軍入り乱れての大乱闘というのは、必ず彼がその種を蒔いていました。ところが、普段のスタンカは本当におとなしく、優しい男でね。まさに赤鬼とは真逆のジェントルマンだったんですよ(笑)。
そんなに違いましたか?
- 野村
- 誰が言ったか知らないけれど、こういう言葉があったんです。「優しいヤツほど残酷になれる」って。まさにスタンカとは、そういう投手でしたよ。プレーボールがかかると豹変してしまうんですね。
当時のホークスは野手はもちろん、投手も本当に一流の役者が揃っていました。
- 野村
- そう思いますか? 私は27年捕手をしてきたけれど、本当にすごい、自他ともに認める超一流の投手っていったら、杉浦忠ぐらいでしたよ。
そうなのですか? 今年殿堂入りした皆川睦男さんや三浦清弘さん、森中千香良さんなど、次々と名前が挙がりますよ。
- 野村
- 確かに皆川は30勝している(1968年に31勝で最多勝)。三浦なんかは、蝶々がとまりそうなほど球が遅かった。森中は……彼だって中の上ぐらいかな。何を基準に一流というか。年間20勝したら一流か。確かにそういう基準もあるけれど、そういうもんじゃないんです。投手の勝ち星ほどあてにならないものはない。
確かに後の時代の人間は、残された数字、記録だけで判断しがちです。
- 野村
- 20勝を挙げるまでのプロセス、状況、そしてリードしたキャッチャー。私はその部分でうぬぼれているわけですよ(笑)。
いや、確かに捕手の存在は間違いなく重要ですよ。
- 野村
- 現役時代、キャンプ中にブルペンで若い投手のボールを受けていたときに、こう声をかけていたんです。「ストライクさえ放れば、後はオレが何とかしてやる」ってね。
ひじょうに深い言葉ですね。
- 野村
- それから何年も経って、ヤクルトの監督を終えた後ですよ。スポーツニュースでキャンプ便りみたいなコーナーがあるじゃないですか。そこでヤクルトのブルペンの様子が映っていて、古田が若手のボールを受けていた。すると古田がね、その投手のもとに近寄って、こう言ってたんですよ。「ストライクさえ投げれば、後はオレが何とかする」って。どっかで聞いたことがある台詞だなぁって思いましてね(笑)。
名捕手に共通する名言ですね。
- 野村
- やっぱり古田も、実感した部分があるのだと思う。もちろん、別に彼は私の真似をしたわけではないですよ。それが捕手としての自信なんです。当時その言葉を聞いて、古田も本当に一人前の捕手になったんだなと思いましたよ(笑)。
- 野村 克也(のむら・かつや)
- 1935年6月29日、京都府出身。
峰山高から54年に南海ホークスにテスト入団。3年目の56年に正捕手の座に就くと、翌年は本塁打王。同タイトルは61年から8年連続で獲得している。65年には戦後初の三冠王に輝くなど、南海の不動の四番・捕手として君臨した。70年からは監督も兼任し、73年にはリーグ制覇も果たしている。78年にロッテ、翌年は西武に移籍し、80年限りで現役引退。90年からはヤクルト監督を務め、リーグ優勝4回、日本一3回。99年から3年間は阪神、06年から4年間は楽天で、それぞれ監督を務めた。また、02年から3年間は社会人野球のシダックスで監督兼GMを務め、都市対抗野球準優勝など好成績を残している。27年間の通算成績は3017試合で打率.277、2901安打、657本塁打、1988打点。89年に野球殿堂入り。