赤星 憲広
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5年連続盗塁王の「レッドスター」
ルーキーイヤーの01年から5年連続盗塁王の快挙を成し遂げた赤星憲広氏が「プロ野球チームをつくろう! ONLINE2」に登場する。今回ゲームをやっていただいて、付けたチーム名は「レッドスターズ」。通算381個をマークした盗塁、パワーがなかったため「赤星スタイル」を築き上げたバッティングの話などをうかがった。
赤星さんはゲーム世代ですよね。
- 赤星
- そうですね。でも小さい頃は野球ばかりやっていたし、親が「ゲームをするんだったら外で遊びなさい」と言って、ゲームを買ってくれなかった。でも、その頃はゲームよりは野球をやっている方が楽しかった。その反動かもしれませんが、大人になってからゲームにはまるようになりました。社会人になり自分でゲームを買えるようになりましたし。
プロに入ってからもやりましたか。
- 赤星
- プロに入ってからは自分が登場するゲームもあるじゃないですか。プロ野球選手になった実感が沸きすごく嬉しかったですね。
「野球つく」を1試合プレーしてみていかがでした。
- 赤星
- 最初からいい選手だけを使えるわけではない、というところがいいですよね。オーナーとしてチームを強くしていくのが、(ゲームの)玄人にとってはたまらないんじゃないでしょうか。普通の野球ゲームとは違いますよね。
自分の好みの選手がなかなか引けなかったりもします。
- 赤星
- そういう、もどかしさも面白いところですね。自分の思うように行き過ぎてもゲームとしては面白くないと思うんですよ。苦労することも楽しみの一つですね。実際、プロ野球の球団経営でも、欲しい選手が必ず獲れるかと言ったら、そうでもない。獲っても思ったような活躍をしてくれるか分からない。いまゲームをやってみて、この選手とこの選手を入れ替えようかなとか、もっとスキルを上げたいなと、いろいろ考えましたから、間違いなくはまるゲームですね。内容も濃いですし、カードを引くというのはいいなと感じました。
レジェンドカードの東尾修投手を引きました。
- 赤星
- OBの方が入っているというのを聞いていなかったんで、いきなり東尾さんが出てきたのでビックリしました。僕は現役時代の東尾さんのイメージがないんですが、偉大な投手をゲームの中で使えるわけですよね。変な使い方をしたら怒られそうですけど(笑)。
赤星さんの現役時代での印象に残るシーンは、03年9月15日、マジック2で迎えた甲子園での広島戦で、サヨナラ打を放ちました。
- 赤星
- プロ野球の中で一番印象に残っているものではないのですが、「喜び」のシーンでは一番ですかね。この年はレギュラーが危ぶまれていた年で、星野仙一監督にもハッパをかけられ、9年間で一番練習した年でした。でもレギュラーをつかんで、この試合のサヨナラの場面で回ってきて、間違いなく打てると思いました。こんなラッキーな場面、自分の中では「持ってるな」という感じでした。
このシーンが一番というわけではないのですね。
- 赤星
- 一番印象に残っているのは、05年に日本シリーズに出場して、ロッテに手も足も出せずに4連敗したことですね。屈辱でした。その後は、その悔しさを晴らしたい思いで、野球をやっていましたので。でも果たせずに終わってしまったのが、野球人生の中では悔いですね。
03年にも日本シリーズではダイエーに3勝4敗と敗れています。
- 赤星
- 本当にいい日本シリーズでした。最終的にはちょっとした力の差で負けましたが。その悔しさを05年にぶつけたのですが、まったく歯が立たなかった。こんな恥ずかしい試合をするんだったら日本シリーズに出るんじゃなかった。セ・リーグの2位で良かったと思うぐらいの屈辱だった。
それほど悔しい思いだったのですね。赤星さんはプロ入りのとき、プロで成功できると思いましたか。
- 赤星
- はっきり言って足しか自信がありませんでした。社会人での指名でしたし、2、3年で終わりということも考えられたので、プロ入りは悩みました。大学卒業時、プロを諦めて一番安定した会社に入りましたし。でもプロは夢でもあったし、せっかくチャンスをいただいたのだから、一回勝負してダメだったら、また考えようという気持ちでした。
足だけは自信があったということですが、プロのクイックなどの技術に対しては?
- 赤星
- 正直、プロってこんなもんかと思いました。入団した当時はクイックをきっちりやる投手は少なかった。大学、社会人のときから研究をしてましたから。走ることのノウハウはプロ以上のものを持っていると自負していました。「クセを見ておけ」と言われ、コーチや他の選手より見抜くのが早かった。最後はコーチの方から聞いてくるようになりました。
1年目は39個で盗塁王を獲得しました。
- 赤星
- 初年度は野村克也監督だったのも大きいですね。捕手の考え方を教えていただいて、捕手の心理も勉強すれば、もっと走りやすくなるなと感じましたし。
その結果、入団から5年連続でタイトルを獲りました。
- 赤星
- 03~05年は60個以上走りましたが、それ以降は相手バッテリーにもかなり警戒されました。巨人の上原浩治さんは、中日の荒木雅博やヤクルトの青木宣親のときは普通のクイックなのに、僕のときだけスーパークイックで投げてくるんですよ。
かなり警戒されたんですね。
- 赤星
- あとで聞いたら「バッター勝負よりも赤星勝負」だったらしいです。赤星に走られると乗ってしまうから。06年以降の4年間は一度もタイトルを獲れなかったですけど、「赤星包囲網」に負けた結果です。それは悔しいですね。
足だけは自信があった赤星さんですが、7年目で通算1000安打も達成しました。
- 赤星
- 足を生かすためには出塁しなければならない。でもキャンプでは外野の定位置まで打球が飛ばなかった。一つ言えるのが大学時代は木のバットを使って打てていたんですが、社会人で金属になり打てなくなった。力がないのに金属を持つと振っちゃうんですよ。それで完全に自分のスタイルが崩れた。プロに入り原点に帰って、とにかくぶつけて、ゴロを打つということに取り組んだ。その形を作ったことが、のちのちヒットを量産できた要因です。3年目に野球はパワーじゃないという認識ができて、ケガがなければ3割は打てるという自信ができました。
最後に赤星さんは通算3本塁打を打っています。
- 赤星
- はい。3試合ともに試合には勝ってないんですよ(笑)。一番嬉しかったのは05年6月12日に甲子園で打てたことですね。ホームランバッターがよく言う「打った感触がない」ものでした。それが分かった一発でした。それに阪神に入団し、トラッキーのぬいぐるみをスタンドに投げるのが夢だったんですよ。それができたのがいい思い出です。
- 赤星 憲広(あかほし・のりひろ)
- 1976年4月10日、愛知県刈谷市出身。
大府高では93、94年のセンバツに出場。亜大に進学し1年からレギュラーとして活躍。その後、JR東日本に進み、ドラフト4位で01年に阪神に入団。1年目からレギュラーを獲り、39盗塁でタイトルを獲得。新人王も手にした。03年からは3年連続で60盗塁以上をマーク。入団から5年連続盗塁王の快挙。09年限りで現役を引退。通算成績は1127試合、1276安打、3本塁打、215打点、381盗塁、打率.295。