江川 卓
- ホーム
- ライブラリー
- スペシャルインタビュー
- 江川 卓
怪物と呼ばれた名投手
作新学院高時代から「怪物」と呼ばれた江川卓氏が「プロ野球チームをつくろう! ONLINE2」についに登場。巨人に入団し3年目の81年にはシーズン20勝を挙げ、MVPを獲得。日本シリーズの「後楽園決戦」でも胴上げ投手となった。プロ生活は9年間と短かったが、全盛当時のエピソードや右肩痛との戦いなどについて語っていただいた。
まず「野球つく」をやっていただきましたが、いかがでしたか。
- 江川
- 面白いと思いますね。野球をご覧になっている方は、好きな選手もいますから、そういう選手を集めて理想のチームを作ってみたいと思っている方が多いはずです。そういう意味では、このようなゲームがあることはいいことです。我々の仕事というのは野球に興味を持っていただくというのが一番なんですが、最近はゲームをやる方も増えてますから、こういった形で野球に興味を持っていただくのも大切ですね。男性のユーザーが多いと聞きましたが、できれば女性の方にも興味を持っていただければもっといいのかなとも思います。女性だったらイケメンチームを作ったり、そういうゲームも面白いんじゃないですかね。
江川さんは今回は赤という色にこだわり、ユニフォームも赤基調、選手ショップで引くカードも赤色の投手パックから選んでいましたが、実際はどんなチームが理想ですか。
- 江川
- 打順というのは面白いもので、投手を除く8人をホームランバッターにしても勝てない。一番は出塁率が良くて足が速い、二番はバントがすごく巧くて右打ちができるなど、いろいろな特徴を持った選手がいて成り立つ特殊なスポーツ。だから、そこに当てはまる選手でチーム作りをするのが大事ですね。
バランスが大事ということですね。
- 江川
- そう思いますね。それが一番要求されるスポーツだと思います。
「野球つく」ではオーナー兼監督になるわけですが、江川さんは指導者に興味はありますか。
- 江川
- 興味がないというのは嘘になるでしょうね。例えれば「結婚」と同じような気がします。プロ野球の監督になるには自分の意思だけではできない。「結婚」する場合、出会いがあったり、積極的に相手を求める場合は「合コン」に参加したりという行動を起こします。僕は「合コン」には参加しないタイプで、テレビを通じてどうやって野球を面白く伝えていくかという方向に行ってしまった。積極的ではなく、ナチュラルな状態でしたね。
急な「出会い」があれば監督も?
- 江川
- やるかどうかは分からないですけれど、年齢的にはまだ「結婚」のチャンスがあるかもしれないですね。
現役時代の江川さんは3年目の81年に20勝を挙げリーグMVP。日本シリーズでも胴上げ投手となりました。
- 江川
- プロ入り前にアメリカに1年いましたが、ほとんど練習でした。巨人に入団して、長嶋(茂雄)監督に伊東キャンプで鍛えていただいて、3年目にやっと自分の体に戻ったという感じでした。
初めての日本シリーズは日本ハムとの後楽園決戦。その第1戦に先発しました。
- 江川
- 四番に左のソレイタがいて、彼はホームベースから離れて立つ選手だったんですが、外の球に対してどこまで届くかという結論が出ないままの開幕でした。第1打席で外側のカーブをレフトスタンドに打ち込まれた。試合後のミーティングで外はボールにしてインコース勝負にしようということになった。それでシリーズは取れた感じでした。
第4戦にも先発し勝利。当時のシリーズは第1、4、7戦と投げる投手が多かったですが、第5戦が雨で1日順延になったことで王手の掛かった第6戦に先発しました。
- 江川
- 雨のお陰で胴上げ投手になれましたね。
序盤に味方が5点を取り試合は優位な形で進みました。
- 江川
- 楽な感じはなかったですね。当時のVTRを見ると、8回に一死満塁になってたんですね。その時は満塁の意識はなかったんですが、そのVTRを見た時はドキドキして(笑)。(藤田元司)監督がマウンドまで来てるんですが、最後まで行く気でしたのでまったく記憶にない。
バッターに集中していた?
- 江川
- そうですね。投げるのが3戦目なのでボールもそんなにいっていなかったですが、最後まで投げることしか頭になかった。僕が解説者だったら「交代だ」と言ってるでしょうけど(笑)。
最後は小飛球以外では珍しいピッチャーフライでした。
- 江川
- これから話すことは「後から作った話でしょう」とよく言われるんですが、前日の寝る前に「どういう風にして終わったらベストか、なんとか自分で終わらないか」と考えた時にピッチャーライナーがあるなと思って寝たんですよ。実際ははフライになったんですが、普通、投手は捕らないんですけど、ここは自分のわがままを通して捕ってもいいなと思ったんですよ。寝る前に描いていたものが現実になったんですから。
83年は西武との激闘の日本シリーズ。惜しくも3勝4敗でした。
- 江川
- この時は、練習で右足の太ももを肉離れしまして、それを隠しながらやっていたシリーズだったんです。あの時はすごく調子が良かったので、故障がなかったらいけたなと思いました。残念でしたね。
足を痛めた翌年は開幕6連勝のスタートでした。
- 江川
- そうなんですか? 肩を壊してスライダーを投げはじめたんですよ。自分で「コシヒカリ」と名付けて。最初の頃はバッターが全然タイミングが取れなかった。それが連勝につながったんでしょうね。
前半8勝2敗で終了し、オールスターの第3戦では8連続奪三振の伝説を作りました。
- 江川
- 最初は2回の予定だったんです。その時はすでに肩の痛みとの戦いで、鍼を打っていました。その日はたまたまツボに当たったんですよね。まったく痛みがなく、ストレートが結構走ってました。予定通り2回で代わる気でいたんですよ。そうしたらベンチでみんなが「もう1回行け」と言うので、行ったんですよね。
その時は以前のスピードが出てると感じてました?
- 江川
- ほぼそういう感じでしたね。ホップする感じもあって、カーブのキレも良かったですから。でもその日だけでしたね。その後、痛くなっちゃって。直後の公式戦で負けたんですよ。すごく監督に怒られました。
その後、痛みが消えたことは?
- 江川
- ほとんどないですね。あの日が最後ですかね。あまり痛みがなくすごく調子が良かったのは、87年に小早川に打たれた時(9月20日=広島の小早川毅彦にサヨナラ弾を打たれた)です。最高のボールだったんですけど、最高の打ち方で打たれました。
これで引退を決意した。
- 江川
- 1年目は6月から投げて9勝10敗。自分の中では10勝できると思っていた。この時に「10勝できない状況になったら引退しよう」と決めていました。87年は13勝5敗でしたが、肩がひどい状態で限界にきていたので、来年やったら肩の感覚から6、7勝ぐらいと自分では分かっていたんですよね。
翌年は東京ドーム開場でした。
- 江川
- やりたかったですね。ドームでやりたい気持ちもありましたが、1ケタになるのが分かっていたので、できなかった。人は「やって見なきゃ分かんないだろう!」と言うんですけど、これが分かるんですよ。当時はいろいろなことを言われたりしましたが、1年目の思いで辞めようという決断をしました。
- 江川 卓(えがわ・すぐる)
- 1955年5月25日、福島県いわき市出身。
作新学院高に入学し、ノーヒットノーラン9回、完全試合2回を記録。3年春夏ともに甲子園に出場。法大に進学し、通算47勝を挙げる。78年に阪神にドラフト指名されるが、小林繁とのトレードで巨人に入団。80、81年は最多勝、81年には最優秀防御率を受賞。87年限りで現役引退。通算成績は266試合、135勝72敗3セーブ、1366奪三振、防御率3.02。