篠塚 和典
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”金沢”で試合を決めた一発 篠塚 和典
現役時代、左の安打製造機として2度の首位打者を獲得した篠塚和典氏が「プロ野球チームをつくろう! ON LINE2」に登場する。篠塚氏は93年6月9日のヤクルト戦(金沢)で、セ・リーグタイ記録の16三振を奪った伊藤智仁から劇的なサヨナラ本塁打を放った。その思い出の地、金沢で「劇的な一発」の話を中心にいろいろなエピソードをうかがった。
巨人の中心選手として大活躍した篠塚さんですが、印象に残るシーンということでは93年6月9日のヤクルト戦、0対0の9回裏二死、伊藤智仁投手からサヨナラ本塁打を放ちましたが、篠塚さんは途中出場でした。
- 篠塚
- 長嶋(茂雄)監督が戻ってきた年で、若手選手を多く使いたい、また僕の腰痛が出ることもあって、スタメンで使われたり使われなかったりでしたね。
この日まで規定打席不足でも打率は3割を超えていました。
- 篠塚
- 調子は悪くはなかったですが、腰が悪い時はスイングをしても、車に乗っている時でも痛みがあったので、きつかったですね。
代打などの出場に備えてのベンチでした。そんな中、伊藤投手は得意のスライダーでバタバタ三振の山を築いていました。
- 篠塚
- 地方球場は狭いのでベンチの近くにモニターがある。そこから、聞こえてくるのが「(三振を)いくつ取った」という話ばかり。ホントは見ちゃいけないんだけど、近いのでチラチラ視線に入るんですよね。モニターの正面から撮った映像を見ると、伊藤のスライダーのキレがすごいのが分かりました。チームはほとんどその球にやられてましたからね。終盤に入っても0対0が続いてたので、自分の出番があるだろうなとは考えてました。
8回を終わって伊藤投手は15奪三振。巨人は先発の門奈哲寛に代打を出したので、その打順に篠塚さんが二塁手として入りました。
- 篠塚
- そうですね。その前に普段はやらないのですが、ブルペンが近くにあったので、ストッパーの石毛(博史)が投球練習をやっているところに行きバッターボックスに立ってみました。伊藤のスライダーは135キロぐらいの高速スライダー。石毛はスピードもあり、大きなスライダーが得意なので、目と体に速さというものを植え付けておこうと思ったんです。
9回裏、巨人も2者が凡退。伊藤投手は吉原孝介からセ・リーグタイ記録の16奪三振をマーク。その場面で篠塚さんでした。
- 篠塚
- 伊藤のスライダーはまっすぐの軌道できて近くで曲がる。曲がったら食い込まれてしまうんで、前のポイントでさばかなければとベンチでは考えてたんですが、打席に入ったらストレートを打とうと思ったんですよね。ストレートのタイミングでしか打たないというイメージで初球を待ったら、135キロぐらいのストレートでストライクを取りに来たんですよ、真ん中やや外めに。
見事にライトスタンドに叩き込みました。
- 篠塚
- 自分のペースで打席に入ることだけを気をつけました。伊藤は三振の新記録を狙って焦ってる感じがあって、僕は2回打席を外したんですよ。それでも伊藤の焦りのリズムは変わらなかった。また捕手の古田(敦也)も初球は打ってこないだろうという感覚だったと思います。早めにストライクを取って追い込もういうイメージだったんでしょう。
この日は皇太子さまと雅子さまのご成婚の日。サヨナラホームランを打った記念のバットにも、それが書き込まれています。
- 篠塚
- 終わってホテルでテレビを見ると、ご成婚のニュースをやっている。そんな記念の日にサヨナラ本塁打を打ててすごくラッキーでしたし、忘れない日になりましたよね。
この場面で素晴らしい技術、読みを見せた篠塚さんは76年に巨人に入団しました。
- 篠塚
- 高校の時はホームランバッターでしたが、1年目のキャンプでまわりを見て、その考えは捨てました。「安打製造機」になることがプロで生き残っていく道だと思いましたね。そんな中、4年目の伊東キャンプでの猛練習は自分の土台を作ったものでした。長嶋監督に「ここで頑張れば巨人を10年引っ張っていける」と言われましたし、自信にもなりました。その長嶋監督が80年のオフに辞めるんですよね。ドラフトの時にまわりの反対を押し切って僕を1位で指名してくれたという経緯もあるんで、どうしても結果を残して恩返しがしたかった。それが突然辞めたので、野球を続けていく気力がなくなって、監督に「自分も辞めます」と電話したんです。そうしたら「何言ってんだ。いままでやったことが絶対に生きてくるから、監督が代わってもしっかり気持ちを持ってやれば必ずいい選手になれるから」と言われたんですよ。
翌81年、レギュラーの座をつかみました。
- 篠塚
- 藤田(元司)監督になって原(辰徳)が入ってきて、当初は控えという構想だった。たまたま中畑(清)さんがケガをして出番が回ってきて結果を出せた。でも中畑さんが戻ってきたら、また控えかなとも思った。でも、だんだん「篠塚がいなきゃダメだろう」と言わせるようにしようと気持ちが変わってきて、いい成績が続きました。
そして阪神の藤田平さんと首位打者争いをして、1厘差で2位になりました。
- 篠塚
- 僕は藤田さんのファンだった。中学の時に藤田さんのレフトへのキレイな流し打ちを見て、それが目に焼き付いてました。そんな藤田さんと争えただけで、その年は満足感があった。自分はその後2、3回は首位打者を獲れると思っていましたから。3回獲ろうと思ったんだけど、2回しか獲れなかったのが、ちょっと悔しいんですけどね(笑)。
この81年と最初の首位打者を獲った84年の打順は二番と三番が半々。打順の違いはありましたか。
- 篠塚
- 三番の方が打ちやすかったですね。二番の時、一番は松本(匡史)さんが多く、二塁に盗塁してから勝負しようと思ってました。自分は追い込まれてもいいという自信はありましたが、それでも早く走ってくれないかなと、余計なことも考えるのが二番でした。時にはそういうことを考えるという野球の楽しさもありましたが。
「野球つく」では、レジェンドカードとして篠塚さんが登場しますが、現役選手で対戦してみたい投手は誰ですか。
- 篠塚
- 打ちやすいピッチャーがいいなあ(笑)。でも、やっぱりダルビッシュ有ですかね。僕らが現役の頃はあれだけ多彩な変化球を持って、速い球を投げる投手はいなかったですからね。どういう変化球が来るかというのは、実際バッターボックスに立たないと分からないですから、見てみたいですね。あとストレート勝負の投手だったら藤川球児とやってみたいですね。
現役時代は左も苦にしなかった篠塚さんですが、左投手は?
- 篠塚
- 技巧派はダメですよ、横から来るタイプは。あとはシュートがある左はイヤでしたね。左で対戦したいのは岩瀬仁紀。全盛のスライダーは打ってみたいね。でも、あんまり左ピッチャーとは対戦したくないですね(笑)。
- 篠塚 和典(しのづか・かずのり)
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1957年7月16日、千葉県銚子市出身、本名は篠塚利夫。
銚子商高に入学し、2年時の夏には甲子園で全国制覇。ドラフト1位で巨人に76年に入団。81年に二塁のレギュラーを獲ると、いきなり打率.357で2位。84年には打率.334、87年にも.333で2度の首位打者に輝いた。94年限りで現役引退。引退後はコーチも務める。通算成績は1651試合、1696安打、92本塁打、打率.304。首位打者2度、ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞4度。