立浪 和義

ミスタードラゴンズ 立浪 和義

ミスタードラゴンズ 立浪 和義

すでに今季の新戦力も登場するなど、新データでますます熱い「プロ野球チームをつくろう! ONLINE 2」。今回は惜しまれながらも昨年限りでユニフォームを脱いだ、名バットマン・立浪和義氏の登場だ。プロ野球記録の通算487二塁打を放つなど、ドラゴンズの顔としてプレーしてきた立浪氏に、プロ生活はもちろん、PL学園時代の秘話も披露していただいた。

22年間の現役生活、お疲れ様でした。

立浪
小学4年生から昨年まで、ずっと野球をしていましたから、まったく身体を動かさないのは初めてのことなんですよ。キャンプへ行ってどう感じるかと思ったんですが、2月1日に中日の北谷キャンプでみんなが野球をしている姿を見た。そのとき、自分もこの中で野球をやりたいなぁとは思わなかったんです。ですから「ああ、完全燃焼できたんだな」と思いましたね。

やりきった、ということなのでしょうね。

立浪
そう思います。解説をしていても、自分もプレーを……とは思いませんから。これまではすべてのマインドが野球でした。オフにゴルフなどをしても、ケガをしてはいけないと常に野球のことを考えながらでしたから、言葉は悪いかもしれませんが気楽というか、成績を残さねばというプレッシャーから解放されて、ホッとした感じですね。

今回はひと味違う野球を体験していただきましたが、ゲームも随分進化しました。

立浪
僕らの子供の頃は野球盤で遊んで、その後、ファミコンが出始めた頃でした。あの当時でもすごいと思いましたが、これは本当にリアルですよね。さっきも和田一浩選手が出てきましたが、ちゃんと構えがオープンスタンスになっていて驚きました。

立浪さんご自身もこれまでたくさん、ゲーム内に登場してきましたね。

立浪
自分で自分を操作するとかはしませんでしたけどね(笑)。これまでの野球ゲームは、そのように自分がプレーヤーになるのが多かったじゃないですか。でもこの野球つくは、選手を獲ったりトレードをしたりしながら戦力を整え、監督、GMを味わえるというのが面白い。皆さんがハマるのも分かりますよ。野球つくをやれば、いろんな球団の選手を知ることができますし、ファンの方の目もどんどん肥えてくるでしょうね。

立浪さんは1年目から大活躍をされましたが、やれるという自信はありましたか?

立浪
3年ぐらいで一軍という目標を立てていたのですが、訳の分からぬままキャンプから一軍へ。当時、ショートは宇野勝さんがいましたよね。僕が入る前年の87年も30本塁打を打っていた、まさに脂が乗りきった状態の宇野さんを、外野へコンバートできる監督なんて、星野仙一さんしかいないです(笑)。

本当ですよね(笑)。

立浪
僕はもう、キャンプ、オープン戦、そして開幕してからも、がむしゃらにやっていただけです。プロとアマ、スピードも何もかもレベルが違うんですが、すぐに上でやらせていただけたお陰で、そのレベルに早く染まることはできました。でも試合数も段違いですから、体力のなさは痛感しましたよ。それが翌年の右肩故障として出るわけです。

しかし、こうしてプロの第一線で22年間も活躍してこられた。その一つの要因は、PL学園高で鍛えられたことですか?

立浪
一つではなく、それが一番でしたね。PLでは寮生活でしたから上下関係の大切さも学びましたし、何より二つ上に桑田真澄さん、清原和博さんという、当時の高校生の中でも投打のトップ2人がいましたからね。あの2人はあれほどのレベルなのに、しっかり練習を積んでいた。その姿を間近で見ていたので、自分が少々できたからって、安心したり過信することはありませんでした。

最高のお手本ですね。しかし、相当厳しかったんじゃないですか?

立浪
野球に揉まれましたね(笑)。でもPLでやらせてもらえたことで、忍耐力や精神面なども鍛えられました。清原さんとお話ししたときも、PL出身の選手はへこたれない、少々のことでは負けないという話題になったんです。同じ技術があっても、結果を出せる人と出せない人がいますよね。その部分でメンタル面の差というのは大きいと思います。

立浪さんの代は甲子園で春夏連覇を飾りましたが、野村弘樹、橋本清両投手に片岡篤史選手と、4人もプロへ進み、活躍しました。

立浪
いま思うとすごいことですけど、当時はプロ入りするなんて思っていませんからね。選抜でも一回戦で、後に広島に入る石貫宏臣がエースの西日本短大付と対戦して、彼は当時から好投手でしたから、勝てるかどうかも不安で。そういう意味でも、試合に勝つごとに強くなっていけたチームだったんです。

同期の皆さんが集まることは?

立浪
ちょこちょこですけどね。みんなが集まると、優勝したときの話よりも1年生の頃、苦労したという話が多いです。「お前がヘマをしたから説教食らった」とかね(笑)。

連帯責任ですからね。ちなみに一番怒られたのはどなたでしたか?

立浪
橋本です(笑)。アイツは何か悪さをしても、必ず見つかるタイプ。彼のせいでみんなが怒られるから、疫病神とか呼ばれていましたよ。要領がいいのは僕で、片岡は一人っ子ですから、最初は寮生活にもなかなか馴染めなくて。本当に夜逃げするんじゃないかと心配したぐらいでした(笑)。

そこを生き抜いたから強いんでしょうね。

立浪
PLって部員、何人だったと思いますか? 一学年100人以上と誤解される方が多いのですが、実は各学年18人程度なんです。その中から確かに2~3人は途中で辞めたりするんですが、自分たちの代は最後まで残った全員が、甲子園の春か夏のどちらかでユニフォームを着られたんですよ。

それは素晴らしいことですね。普通の名門校では、一度も試合用ユニフォームに袖を通せず終わる選手も多数います。

立浪
ですから僕らにとって、それはある意味、連覇以上に誇れることなんです。

立浪さんは他にもたくさんの栄光をつかまれましたが、プロ野球記録保持者という点も忘れられません。487もの二塁打、ただこれは狙って打つものでは……。

立浪
ないですね。本塁打を打てるわけでもなく、足がもっと速ければ福本豊さんのように三塁打が増えたでしょうし、そういう意味では中途半端(笑)。まぁ自分はチョコンと当てるタイプではありませんでしたから、二塁打が多いときは調子がいいという、バロメータではありました。右中間、左中間を抜くのはいい打球ですよね。三塁線、一塁線を抜ける当たりというのも、痛烈でなければ抜くことはできません。二塁打となるのはそういう打球ですから、本数が多いときはバットが振れていたわけです。

チームにとっても大きな武器でしたよ。

立浪
走者なしで打てればいきなりチャンスだし、得点圏で打てば、打点に加え、さらに得点圏に自分が残るわけですからね。でも、自分で二塁打を意識したのって、通算400本になる直前。それまでは全然意識はしていませんでしたよ(笑)。

さて、最後にこの野球つくの世界で再び、立浪選手に復活していただきます。どのようにこだわって再現しましょうか?

立浪
もちろん精神力、このパラメータは上げておいてください。守備はショートがいいですね。打順は三番に起用してもらえれば嬉しいです。対戦? ダルビッシュでしょう。彼のストレートを弾き返して、右中間を抜く二塁打! やはりこれしかないですよ(笑)。
立浪 和義
立浪 和義(たつなみ・かずよし)
1969年8月19日、大阪府出身。
PL学園では3年時に主将として甲子園春夏連覇を飾り、88年ドラフト1位で中日入り。開幕戦からスタメン出場し、優勝に貢献。新人王とゴールデン・グラブ賞を受賞した(同賞は遊撃、二塁、三塁で計5回受賞)。以降、中日一筋で22年間プレー。チームの顔として幅広い世代のファンから絶大な支持を得る。07年オフより打撃コーチを兼任し、09年限りで現役引退。22年間の通算成績は2586試合で2480安打、171本塁打、1037打点、打率.285。通算487二塁打はプロ野球記録。

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