衣笠 祥雄
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世界の鉄人 衣笠祥雄
クライマックス・シリーズ、そして日本シリーズと、今季のプロ野球も最高潮を迎えたが、「プロ野球チームをつくろう! ONLINE 2」の世界でも、負けじと連日熱い闘いが展開されている。この「野球つくONLINE 2」に、ファン待望の衣笠祥雄氏がついに登場。カープの新本拠地・MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島で、世界の鉄人が新たな世界に挑戦した!
マツダスタジアムまでお越しいただき、ありがとうございます。
- 衣笠
- やはり新しいスタジアムはいいですね。
私の想い出は広島市民球場にありますが、どうしても老朽化や施設面に不備もありました。
このように素晴らしいスタジアムができたのは、やはりうれしいことですよ。
随分と工夫を凝らした席もあります。
- 衣笠
- グループでバーベキューのパーティーをしながら観戦したりね。
斬新というか、私らの時代では想像もつかなかった。
天然芝というのもいいと思います。
- 衣笠
- 内野にも芝があってね。芝の長さでも打球は変わりますし、守備一つとっても地の利というのかな。本拠地の強みを生かすことができるようになる。これも人工芝球場ではできないことです。客席もゆったりしていて、お客さんも見やすくなったでしょう。
今回はこの新球場で、ひと味違った野球の楽しみ方を体験していただきます。
- 衣笠
- ほぉ~なるほど(と、衣笠さんのチームづくりに挑戦)。
ユニフォームやカラーも豊富にあるんですね。やっぱり強そうに見えるのがいいな。
選手を留学させたり育てたり、同じ選手でも、やる人によって能力が異なってくるのも面白いですね。
でも本当に、最初はなかなか勝てないもんだなぁ……。
下の画面に出ているチャットも活用して、ユーザー同士でトレードも行えますよ。
- 衣笠
- これはみなさん、いま実際にプレイしているということですか?
そうなんです。試合は自動的に行われるので、1日5~10分程度でも十分楽しめますが、選手を育てるスキルを合成したり、選手を購入したりと、いつでも遊べます。
- 衣笠
- 基本料が無料というのも驚きだけど、これだけ大勢の実在する選手を駆使できるというのにも驚かされますね。
一度獲得して育てた選手は、いつまでも起用できるの?
基本的には最大2サイクル、6ペナント所属します。
イメージとしては6シーズン所属して、引退するという感じです。
- 衣笠
- あ、ちゃんと限りがあるわけだ。
しかし、プラチナ会員になっていただき、コインで契約延長カードを手に入れると、1サイクル長く所属させることもできます。
- 衣笠
- なるほど。いろいろとコツもあるのですね。
育てた選手には愛着も湧くでしょうし、ハマるというのも分かりますよ。
どんな選手を揃えてチームをつくってみたいですか?
- 衣笠
- タイプ的に好きなのは足が速い選手なのですが、やはりチームとして考えると、まずは身体が丈夫な選手となりますよ。
まさに衣笠さんのような選手ですね。
- 衣笠
- いやいや(笑)。ただ、オーダーを固定できるチームはやはり強いです。
例えば投手を10人、野手も12~13人で1シーズンまわせれば、ちゃんと計算ができる。
その上で、スピードがある選手が揃えば理想的です。
ただ、12球団を見ても、全試合出場できる選手は、ほんのひと握りですね。
- 衣笠
- 阪神の金本はもう別格ですけど、意外と見逃されがちなのが巨人のラミレス。
彼は休むような故障も本当にしないし、しっかり結果も残し続ける、頼もしい存在ですね。
ヤクルト時代からそうだったでしょう。
ラミレス選手はすでに今年も含め、5年連続で全試合出場ですからね。
- 衣笠
- 核である四番打者が固定できるのだから、ベンチはその前後をどう並べるかを考えればいい。
これは監督にしてみれば安心できますよ。
やはり本当のレギュラーと呼ばれる選手には、135試合ぐらいはちゃんと出てもらいたい。
出たり休んだりの繰り返しでは、あてにできませんから。
選手たちは皆さん、身体を鍛えていますが、それでも故障はつきものです。
やはり真の身体の強さは、資質もありますか。
- 衣笠
- もちろんそれもありますが、もう一つは経験です。
初めてケガをすると、どうしていいのか分かりませんが、一つずつ山を越えていくことで、このケガなら100パーセントは無理にしてもどの程度できるのか、試合に出られるレベルにはどう持って行けるのか、さらにはどういうケアが大事なのかを学ぶことができます。
ケガをしたからすぐ休むというのでは、いつまでも経験値はゼロのままですが、レギュラーはその経験も大事になる。
いかに今日のベストという状態をつくれるかですね。
衣笠さんは2215試合連続出場という金字塔を打ち立てられましたが、途中、ケガもたくさんありました。
正直、休みたいと思われたことはありませんでしたか?
- 衣笠
- 試合のある日に、休みたいと思ったことは一度もないですよ。
シーズン中は野球をするものだと思っていたし、野球の試合をすることが、楽しかったわけですから。
出るために練習もしていましたしね。ですから監督から休めと言われればともかく、自分からはどこが痛いから休みたいと言う気はなかった。
そこが鉄人と凡人の違いかも……。
- 衣笠
- いやぁ、でも想像ができないんですよ。家で野球中継を見ながら傷を治すって(笑)。
それよりは多少痛くても、試合しているほうが精神的に楽だもの。それはきっと、育った環境。
カープに入った頃、「痛いと言ってくれば休ませてやる」という中で育てられた。要は代わりはいくらでもいるということです。
でも試合に出たいから、ケガを隠してでもプレーした。結局はそれが経験になったと。
その広島入りを決めた理由は何でしたか。
- 衣笠
- 当時、6球団からお話があったそうですが、どこに入れば自分が生きるのかと考え、私自身が選びました。
ただ実は、私は入団するまでプロ野球を観たことがなかったんです。
契約が決まり、初めて甲子園で阪神対広島戦を観戦したんですよ(笑)。
そうだったんですか!?
- 衣笠
- 当時の広島は田中尊さんが捕手でしたから、ずっと田中さんのプレーを見ていました。
年齢的に、数年後に田中さんの後で正捕手になれるんじゃないかと、単純に思いましてね。でも実際に入ってみたら……。
全然違いましたか?
- 衣笠
- まずキャンプのキャッチボールで思い知らされました。
世の中には野球の上手い人が、こんなに大勢いるのかと。
さらに打撃捕手を務めて、打つほうでも差を見せつけられて、まぁ落ち込みましたよ。
自分はここに来ては、いけなかったんじゃないかってね。
しかし、一塁転向で4年目にレギュラーとなり、初優勝の75年は三塁転向、さらに背番号変更と、節目ごとに転機がありました。
- 衣笠
- 70年頃から、チームは確実に変わっていったんです。
初優勝の中心になった選手もあの頃に入団し、関根潤三さんや広岡達朗さんに育てられた。
ルーツは、チームにやれば勝てるんだという意識を植え付けた。いろんな意味で、変わっていった時期でした。
あと、衣笠さんといえば豪快なスイング。
- 衣笠
- 空振りね(笑)。私にあと10センチ背があり、20キロ体重があれば、また違った野球があったでしょう。
でもこの身体で「遠くまで飛ばしたいんだ」っていう気持ちの表れでしたよ。
まぁ23年プレーし、504本打てたので、そういう意味ではあながち、あれも間違いではなかったのかもしれませんね(笑)。
- 衣笠 祥雄(きぬがさ・さちお)
- 1947年1月18日、京都府出身。平安高(現・龍谷大平安)時代は3年の春夏連続で甲子園に出場。65年に広島入りし、捕手から内野手に転向。68年に一塁手で定位置をつかむと、中心打者へと成長した。75年に背番号が28から3へ変更され、守備も三塁に。この年、チームを悲願の初優勝に導くと、以降の赤ヘル黄金時代に欠かせぬ存在として活躍した。87年限りで現役引退し、国民栄誉賞を受賞。2677試合で2543安打、504本塁打、打率.270。76年に盗塁王、84年にMVPと打点王。2215試合連続出場はプロ野球記録。96年、殿堂入り。