大沢 啓二
誰もが慕う球界の“名親分” 大沢 啓二
実在する選手たちで自分だけのチームを結成し、全国のユーザーと最強の座を争うPCオンラインゲーム「プロ野球チームをつくろう!ONLINE」。
リリース以来、多くのファンを魅了するこの超本格的野球シミュレーションゲームを、球界の親分・大沢啓二氏が体験した。
監督経験が豊富で、数々のトレードを成立させたエピソードは、野球つくをプレーする上でも、大きなヒントとなること間違いなし!
「野球つくONLINE」の世界を体験されてみて、いかがでしたか?
- 大沢
- 本当に時代は進んでいるよな。俺たち昭和ひとけた世代がこういうのを見ると、ビックリしちゃうよ。
このゲームをすることで、自分の好きな球団や好きな選手以外にも興味を持ってもらえるのは本当にいいことだよ。でもな、プロ野球の監督の難しさってのは、実際に体験した人間でないと分からないぞ(ニヤリ)。
その通りです。今日はぜひ、そのお話をうかがわせてください。
大沢さんが初めて監督になられたのは1971年のロッテ。二軍監督だったのが、7月に突然……。
- 大沢
- 一軍と二軍の監督の入れ替えがあったんだ。ロッテは前年に優勝していて、濃人渉さんは優勝監督。
でもその年は阪急に次ぐ2位で、差は離れる一方だった。
そんなときに濃人さんが阪急戦で、失敗したんだよ。試合放棄。
これで球団は、もう濃人さんには任せられないってことで、俺が一軍監督をすることになったんだ。
当時のオーナーは中村長芳氏でした。
- 大沢
- この中村さんとはいろいろあったよ。
まぁそれは後のことだけど、ともかく俺が監督になった途端、連戦連勝。
8つもあった阪急とのゲーム差が、9日で0になった。最終的には負けたんだけど、「大沢はいい監督だ」ってことになり、当時としては異例の監督5年契約を結んでもらった。
だから俺は、徹底してチーム改革を進めたんだ。それだけの猶予をもらったわけだから。
大沢さんはトレード巧者でしたね。
- 大沢
- 本当にいろいろとやったよな。
当時のロッテは大毎時代からの伝統で、とにかく打つ。だけど守れないし、走れない。
これではバランスが悪くて、好調は長続きしないよ。だから3割打てる江藤慎一、榎本喜八、ロペスを出して、若手を獲ったんだ。みんな驚いていたよ。当然、批難もされたけどな。
みなさんオリオンズの顔でしたからね。
- 大沢
- 俺は長い目で見て、チームを良くすることを考えた。
そうやっていけば、5年の間に勝てるだろうとね。
だけど72年は投手陣が故障で崩れて5位。結局、俺も2年であっさりクビになった(笑)。
でも、金田正一が74年にロッテを日本一にしたことで、チームはバランスが大事ということが、結果として出たんじゃないかな。
大沢さんをロッテの監督に迎えた中村氏も、72年でオーナーを退きました。
- 大沢
- 中村さんのことを話すには、本当は当時の政界のことから始めないといけないんだけどな(笑)。
ともかく、中村さんはロッテ本社の人間ではなかったんだよ。
ロッテを去った中村さんは、博多の西鉄ライオンズを買った。そうして73年に生まれたのが太平洋クラブライオンズだ。そして俺も、いつかもう一度、監督になりたいと思っていた。
そして76年に、日本ハムの監督に就任するわけですね。
- 大沢
- でも実は、中村さんから太平洋の監督になってほしいという打診があって、日本ハムの三原脩さんから話が来たのはその後だったんだよ。俺としては当然、断るしかない。
それで日本ハムの大社義規オーナー、三原さんと中村さんとの会談が設けられて、最後は中村さんが「日本ハムさんに譲りましょう」となったんだ。だから二度目の監督は、太平洋という可能性もあったんだよ。
そうだったんですか。その日本ハムの監督時代も、大沢さんは大胆なトレードを敢行しています。
- 大沢
- 張本勲を巨人に出したのは三原さん。日本ハムも新しい球団だから、独自の色を出したかったんだよ。
その前には大杉勝男も放出した。大杉、張本はやっぱり東映の顔だったもんな。
その張本との交換でやって来たのが左腕の高橋一三と外野の富田勝だ。
77年オフには、南海から柏原純一選手、大洋から間柴茂有投手が来ています。
- 大沢
- みんな81年の優勝の原動力になった選手だよ。間柴は俺がロッテの二軍監督時代から注目していた投手。
二軍の大洋戦で間柴が投げてくると、決まってやられてね。
でも、大洋では活躍できなかった。それでウチが獲ったら、81年は無傷の15連勝だよ。
そしてやはり、81年の優勝に欠かせなかったのが江夏豊投手です。
- 大沢
- しかも交換相手はエースの高橋直樹だからな。あれは大変だった。
80年はあと一歩ってところで後期優勝を逃したんだけど、シーズン後に直樹と話す機会があって、「お前はエースなんだから、優勝のためにも頑張ってくれ」って激励したんだ。
するとその1週間後、広島が江夏を出すという情報が入った。すぐに広島の古葉竹識監督、松田耕平オーナーと会ったら、本当に出すという。ただし、交換相手は直樹じゃないと絶対ダメだと……。本当に困ったよ。
どうやってまとめたんですか?
- 大沢
- 大社オーナーはそのとき、鹿児島のホテルに泊まっていて、朝6時半に電話したよ。
直樹を出さないとこの話は流れる。でも江夏は欲しいって伝えた。
さすがのオーナーも電話の向こうで黙っちゃってね(笑)。でも最後に言ったよ。
「大沢、これが最後の勝負だぞ! これでしくじったら後はないぞ」ってね。結果、その年リーグ優勝だ。
すごいですね。しかもそのとき、もう一つ広島と大きなトレードをしてますよね。
- 大沢
- 高橋里志と佐伯和司の交換だな。古葉は江夏と高橋は犬猿の仲だから、やめておけって言うんだよ。
でも、俺はマウンドに二人一緒に立つことはできないんだし、関係ないって言ったんだ。
それで二人を家に呼んで、「お前ら、いい年して好きとか嫌いとか言ってるんじゃない。広島でどうだったかは知らないが、ここは日本ハムだ。仲良くやれよ」って言ったんだ。
結果的に、高橋もよく働いたよな。まぁ、やっぱり仲は悪かったけどな(笑)。
本当に監督業、そしてトレードは大変ですね。実はこの「野球つくONLINE」でも、トレードができるんです。
- 大沢
- そうなのか!? 全国のユーザーと?
じゃあ人と人とを生かす、いいトレードをして、チームを強くしないといけないな。
84年に監督勇退後は、フロント入りしましたね。その時期はどんな仕事を?
- 大沢
- 球団常務で、強化育成部長。営業もやりましたよ。年間シートを売ったりね。
強化育成では全国を回って選手を見てきた。
いま活躍している選手では、楽天の山﨑武司をリストアップしていたな。
あとは現ヤクルト監督の古田敦也。古田は立命館大時代に獲得する予定だったんだよ。
それがなぁ、ドラフト指名漏れになっちゃって。ドラフト外でという話にもなったんだけど、社会人のトヨタ自動車入りが決まった後だったんだ。惜しいことしたよなぁ、本当に。
もし古田選手が日本ハム入りしていたら、歴史が変わっちゃっていましたね。
- 大沢
- 本当だよ。まぁプロ野球チームってのは、一筋縄ではいかない難しいものなんだ。
このゲームを通して、監督や経営者の難しさが少しでも分かってもらえたら、いいんじゃないかな(笑)。
- 大沢 啓二(おおさわ・けいじ)
- 1932年3月14日、神奈川県藤沢市出身。
旧名は昌芳、本名は昭。立教大から56年に南海入り。
外野手として活躍し、59年の巨人との日本シリーズでは、無傷の4連勝に大きく貢献した。
65年に東京へ移り、その年現役引退。コーチ、二軍監督を歴任後、72年に監督に。
76~84年、93~94年には日本ハム監督を務め、81年にはリーグ優勝を果たした。
現在は社団法人全国野球振興会(プロ野球OBクラブ)の理事長を務める一方、
球界のご意見番としてテレビ、講演など幅広く活躍する。
名古屋軍(中日)などで活躍した大沢清、大沢紀三男は実兄。
