屋鋪要|球界OBに聞く!

第7回 元大洋・横浜・巨人 屋鋪要さん

本日はよろしくお願いいたします。では、まずチームを作っていきましょう。

屋鋪
こちらこそよろしくお願いします。
まずはオーナー名からですね。じゃあフルネームで「屋鋪要」でいきましょう。

・・・既にどなたかファンの方が使われているようですね。

屋鋪
嬉しい誤算ですね(笑)。それではシンプルに「屋鋪」にしましょう。
ファン球団は阪神タイガースにします。大阪生まれなので実はバリバリの阪神ファンです(笑)。
本拠地は大阪にして、チーム名は「大阪ジャガーズ」でお願いします。

続いてロゴとユニフォームを作っていきましょう。

屋鋪
これはなかなか悩みますね。動物のデザインもいいですが、シンプルなのもいいですね。
(5分ほど悩んでロゴデザインを決定)

ロゴの色はどうしましょうか?

屋鋪
芝生の色でグリーンにしましょう。
ユニフォームはシンプルなデザインにして、緑と白の組み合わせがいいですね。
なんかユニフォーム作るだけでだいぶ時間かかってるなぁ(苦笑)。
ビジター用ユニフォームのほうは、淡いグレーを基調にしましょう。

秘書はどなたにしますか?

屋鋪
島本エリさんでお願いします。

初期の選手を選んで、いよいよ球団運営がスタートします。

屋鋪
やっぱり最初の方針は打撃力かな。打ちたいですからね。
二軍コーチ時代に指導したことのある選手もいますね(笑)。
中心選手は林(阪神)でいきましょう。

ではここからは初期のポイントでチーム作りを進めていただきながら、理想のチームについて伺いたいと思います。

屋鋪
トップバッターは赤星(阪神)ですね。人間的にもすばらしい人物だし。
4番にはホームラン王をとれるような選手を置きたいですね。
ウッズ(中日)やローズ(オリックス)のような大砲です。
捕手は・・・阿部(巨人)ですかね。2番には井端(中日)か宮本(ヤクルト)がいいですね。

ピッチャーはどうでしょうか?

屋鋪
もちろん各チームのエース級を並べたいですね(笑)。
ダルビッシュ(日本ハム)や成瀬(ロッテ)ですね。ダルビッシュは出てきたときから、スケールの大きさを感じていました。抑えはクルーン(巨人)ですね。失敗することも少なくないですが、あの140km台のフォークは魅力的ですよ。

もし屋鋪さんご自身が監督をされることがあれば、どのように戦いたいですか?

屋鋪
1番2番は小技ができて足が速い選手を置きたいですね。1番が出塁して2番が送って、3番4番が返すという野球が理想です。

屋鋪さんの大洋時代は1番2番3番が皆俊足で、屋鋪さんもよく3番を打っていました。さまざまな打順で打っていましたが、何番が打ちやすかったですか?

屋鋪
やはりブレイクした3番だと思います。ただ、3番は責任が重い打順ですね。1番はそれに比べて気楽ですよ。とにかく出塁すればいいんですから(笑)。

ただ1番打者というと、試合の最初に打席に立つのでプレッシャーもかかりそうです。

屋鋪
そんなことはなかったですよ。結構自由に打てますから。
ランナーが出ているときのほうがやりがいはありますけど大変ですね。3番を打っていたときは、多少は盗塁も減ってしまいましたね。
あの頃はレオン・リー(元ロッテ・大洋・ヤクルト)が4番で、外国人ということもあり、いい球なら初球からガンガン打つ選手でした。

現役時代、高木豊さん(元大洋・横浜・日本ハム)、加藤博一さん(元西鉄・阪神・大洋・横浜)とともにスーパーカートリオといわれ歴史に残る活躍をしました。

屋鋪
3人で148盗塁しましたからね(笑)。※1985年

今ではとても考えられないことです。

屋鋪
あの頃はチームがそれほど強くなかったのが影響しているかもしれません。やっぱりお客さんに見せるものが必要だったんですよ。
それを考えられたのが当時の近藤(貞雄)監督でした。「アウトになってもいいから走れ」と言われてました。逆に走らないと怒られましたよ。

サインが出ていたわけではなかったんですか?

屋鋪
全てフリーでした。「アウトになってもいい」といわれると結構走りやすいんですよ。逆に「ここは絶対に決めなきゃいけない」と思うと、なかなか1歩目が出ないんです。そういう意味ではラッキーでしたね。

他のOBの方々からは、チームによって全然雰囲気が違うという話を伺いました。

屋鋪
確かにそういうのはありますね。
ただ、私が在籍した大洋と巨人ではそれほど違いは感じませんでした。僕自身があまり他の選手と絡まずに、一人で自由行動をしていたからかもしれませんが(笑)。

やはり野手の方だと毎日試合がありますし、なかなか遊びにいけないですよね。

屋鋪
そう思いますよね?でも僕はよく朝まで飲んでましたよ(笑)。

次の日の試合は大丈夫なんですか?

屋鋪
ザルだったので大丈夫でした(笑)。

かつてスーパーカートリオを組んだ高木さん、加藤さんとはどういう仲だったのでしょうか?

屋鋪
やはり良き仲間であり、ライバルでもありましたね。

屋鋪さんといえば、トレードマークのヒゲがダンディです。巨人に移籍する際に、ヒゲを剃らないことで話題になりました。

屋鋪
長嶋(茂雄)さんに「剃るな」といわれたのでその通りにしました(笑)。

現役時代、盗塁王を3回獲得されています。

屋鋪
盗塁は一番のセールスポイントでしたし、こだわりはありました。1塁に出ればファンからの「走れ!」というコールも聞こえましたし。現役の間はずっとこだわっていましたね。

盗塁のコツというのはあるんでしょうか?

屋鋪
僕はどちらかというと、盗塁は下手なほうでした。
ただ、盗塁にもいろいろ研究することがあって、例えばリードのとり方であったり、ピッチャーのフォームの見方であったりですね。
いろいろと研究していくと、牽制球を投げる/投げないというのがわかるようになってくるんですよ。
近藤さんが「どんどん走れ」と言ってくれて、経験を積ませてくれたのが良かったんだと思います。
よく「足にスランプはない」と言うのですが、絶対そんなことはないんですよ。特にプレッシャーのかかる場面では、足が縮みますよ。メンタルな部分はすごく影響しますね。

ファンの方の期待も凄かったと思います。

屋鋪
打率は3割5分打てば凄いじゃないですか。でも盗塁の確率っていうのは8割以上成功しなければいけないんです。盗塁すれば絶対成功するだろうという期待度もすごく高いんですよ。

屋鋪さんから見て、今俊足に期待したい選手はいますか?

屋鋪
西武の片岡ですね。彼を見ていると、僕の現役時代と同じような精神状態で野球をやっているように見えるんです。西武はノビノビ野球をやっていますね。渡辺監督になって、デーブ大久保コーチがいて非常にいい雰囲気になってると思いますよ。

屋鋪さんが巨人でコーチをしていた頃はどのように指導していたのでしょうか?

屋鋪
僕はそれほど厳しくなかったですね。エラーしても怒らなかったし。
ただ、すぐそこに打球が落ちそうなのになぜ飛びつかないとか、盗塁のサインが出ているのになぜ走らないんだとか、そういうときは怒りました。

盗塁のサインが出ても走らないことがあるんですか?

屋鋪
ありますね。盗塁のサインというのは何種類かあります。
例えばこの投球のときに走りなさいとか、初球にスタートが切れそうなら走れとか。初球にスタートを切れとサインを出してるのに、走らないときなどは怒りましたね。

現役時代の思い出のシーンというのはありますか?

屋鋪
2つあります。
1つは、88年10月20日に最後の盗塁王を獲得したときです。その夜に偶然息子が生まれたんですよ。試合が終わってすぐ病院に直行しましたのを覚えています。
あとは94年の日本シリーズ(巨人vs西武)第2戦ですね。初めて日本シリーズで打てたので(笑)。あの2試合をよく覚えてますね。

得意だった投手、苦手だった投手というのはいましたか?

屋鋪
エース級の投手は結構打ったと思っています。 斎藤投手(雅樹・現巨人投手コーチ)とか川口投手(和久・元広島・巨人)とかですね。エース級のピッチャーと対戦するのは楽しかったですね。

また(盗塁をするのに)得意だったキャッチャーはいますか?

屋鋪
山倉(和博・元巨人)さんからはよく走ったと思います。山倉さんが悪かったわけではなくて、当時の巨人の投手はあまりクイックモーションをしなかったですね。
多少走られても抑えられるという自信があったんでしょうね。

普段のインタビューではあまり聞かれないと思うのですが、屋鋪さんの趣味のことも教えてください。

屋鋪
SLですね。小学生のときからの趣味なんです。
いま日本全国に630両くらいSLが残ってるんですよ。それを全部撮影していくというのが目標です。
レイル・マガジンという鉄道雑誌で連載が始まりました。
プロ野球のOBクラブのイベントなどで移動するときは、ほかの皆さんは飛行機なんですけど、僕だけ電車を使うんですよ(笑)。

最後に、野球つくONLINE 2をプレイされている皆さんに一言お願いします。

屋鋪
ゲームでも野球に親しんでいただけて本当に嬉しいです。
野球というのは本当に奥の深いスポーツで、楽しいゲームです。ゲームを通してこれからも末永く野球に触れていただきたいと思っています。

本日はありがとうございました。

屋鋪要
屋鋪要
出身地
大阪市此花区
生年月日
1959/6/11
身長/体重
178cm/75kg
投打
右投両打
出身校
私立三田学園高等学校
球歴
横浜大洋ホエールズ(78年~92年)-横浜ベイスターズ(93年)-
読売ジャイアンツ(94年~95年)-読売ジャイアンツ(コーチ)(98年~99年/04~05年)
通算成績
1628試合出場
1146安打/375打点/58本塁打/327盗塁/打率.269
タイトル
盗塁王 3回(86年~88年)
ゴールデングラブ賞 5回(84年~88年)