田淵 幸一
華麗なるホームラン“アーチスト” 田淵 幸一
ID登録もダウンロードも無料でOK! 誰もが気軽に楽しめるおなじみ「プロ野球チームをつくろう!ONLINE 2」に、ついにあの“天才アーチスト”が登場。阪神、西武で活躍した田淵幸一氏は、高い軌道で滞空時間の長い、文字通り“アーチ”を量産する真のスラッガーだった。今回は田淵氏に打撃についてはもちろん、捕手としての秘話もうかがった。
先ほど田淵さんのチームをつくっていただきましたが、ユニフォームはタテジマでしたね。やはりタテジマには強い思い入れが?
- 田淵
- もちろんタイガースというのもあるんだけど、実は最初に憧れたユニフォームがタテジマで。
オヤジが毎日新聞に勤めていた関係もあって、当時の私の中ではプロ野球といえば毎日オリオンズ。
左胸にMがデザインされたユニフォームがとても格好良くてね。最初に着たユニフォームもタテジマだったんだ。
田淵さんの原点が毎日とは驚きです。
- 田淵
- 初めて観戦したプロ野球は、小学生のときの日米野球。マントルなどがいた当時のヤンキースですよ(1955年)。これもピンストライプ。そして日本シリーズのチケットを初めて手にしたのも、60年の大毎vs大洋戦。ただ、第5戦のチケットだったので……。
三原脩監督の大洋に、まさかの4タテを喫してしまった……。
- 田淵
- お陰で幻のチケットですよ(笑)。
さて、この「野球つくONLINE 2」ですが、基本操作を無料で楽しめます。
- 田淵
- 本当に無料で? でもそれじゃあ、ビジネスとして成立しないでしょう?
まず無料でプレイして、面白ければプラチナ会員になっていただいたり、野球つくコインを購入していただくのです。そうするとより深く楽しめると思います。
- 田淵
- なるほどね。少しずつ強くしていく中で、いろんな楽しみ方があるんだ。
そうなんです。ところで、先ほどお話のあったタテジマのユニフォームですが、まさかプロでも身にまとうとは……。
- 田淵
- まったく思わない(笑)。知っての通り、自分では巨人と言い続けていたのだから。当時、テレビをつければやはり巨人戦。阪神は村山実さんや江夏豊を知ってはいても、どんなチームかまではよく分からなかった。なにしろ阪神からは、ドラフト前に指名するとすら言われてなかったんだからね。
そうだったんですか?
- 田淵
- だから予想すらしていない。自分では絶対に巨人に入れると思っていたし。後で聞いた話では、オヤジは読売新聞とはライバルの毎日だから、もしあの昭和43年の秋に巨人からドラフト指名されていたら、毎日に辞表を出す決意をしていたらしい。それだけ息子に懸けていてくれたわけですよ。
それがまさかの阪神入りで、1年目から押しも押されぬ正捕手です。
- 田淵
- 皆さんそう言いますけど、当時の阪神には2人の辻、恭彦さんと“ヒゲ辻”の佳紀さんがいた。だから正直、キツかったですよ。ただ私にとってラッキーだったのは、2人とも打つほうはそこまでではなかったから、自分はここぞというところで打てる選手になることが、レギュラーへの近道だった。
ただ、田淵さんは打撃はもちろん、強肩の捕手としても名を馳せました。
- 田淵
- それは村山さんに育てられ、年は2つ下だけれど、江夏にいろんなことを教わったから。いい投手との出会い、そしてさらに、ONという大きな存在。やはりいいライバルがいないと成長はしませんよ。お陰で江夏とのコンビが“黄金バッテリー”と呼ばれるまでになれたのだと思うよね。
ただ、すべての投手が村山さん、江夏さんクラスではありませんよね。
- 田淵
- そこで勉強したのが血液型です。広島遠征のとき、新大阪駅の売店に立ち寄ると、血液型の本があった。それを読んだら、性格の違いなどが書かれていてね。血液型はいつの時代も話題になるけど、指導者になってからもすごく参考になっていますよ。
個人の性格分析ですね。では、名捕手の条件と言いますと?
- 田淵
- 投げやすい構えをすること。際どいボールをうまく捕って、言葉は悪いけれどアンパイアをごまかしてストライクと言わせる。そういう技術があること。それを教えてくれたのが江夏です。1年目のキャンプでね。
どんなやりとりがあったのですか?
- 田淵
- 安芸で2時間ぐらい、ずっと球を受け続けた。球数で言えば200~300球です。最初、速いと言ってもなんてことないだろうと思っていたら、想像を絶していた。当時の江夏はカーブやフォークなんてない、勝負球は真っすぐしかなかったのに、ONを三振に斬った。その理由がよく分かったね。
それほどでしたか。
- 田淵
- ミットが球威に押されて動いちゃうんです。すると江夏が「それだとストライクを投げてもボールと言われてしまう。ミットを動かさんでくれ」って。腹も立ったけれど、確かに彼の言う通りなんですよ。だからそれから毎晩、鉄アレイで左腕を鍛え続けた。彼の速球に負けないだけの力をつけるためにね。
地道なトレーニングですね。
- 田淵
- でも面白いもので、実はそこが長距離砲としての私のスタートだったんです。左腕を鍛えたことで、飛ばす力も身ついた。
田淵さんの打球は独特でした。滞空時間がとても長い、まさに“アーチスト”でした。
- 田淵
- だからあの打球も、結果的には江夏のお陰なんだ。ただ、六大学記録の本塁打数を打ったことで、自分でも最初からやれると思っていたんだけど、開幕の大洋戦に代打で出て、平松政次に三球三振。しかも真っすぐなのに、一つも振ることすらできなかった。プロとアマのスピードの差に翻ろうされたんです。それが私の第一歩。屈辱でした。
プロの洗礼というものですね。
- 田淵
- そこでまた考えた。あれだけスピードがあるのなら、上段に高くバットを構えていたら追いつかない。そこで、グリップを低く下げた、私の構えが生まれたわけです。しかも次の試合から。それで2本塁打したの。
すぐ切り替えられるものですか?
- 田淵
- 何でもやってみようという、好奇心旺盛な性格も幸いしたんだろうね。なぜ王さんは、あんなに足を上げて打つのか不思議に思って、自分も試してみたら飛距離が伸びた。だから頑固すぎるのはダメなの。悪い意味で頑固な選手は、みんな上に行けてないからね。でも例えば、赤星憲広は頑固な性格だけれど、納得すればしっかり受け入れられる選手。だから彼は伸びたんだ。指導者というのは、ヒントを与えて、選手にそうしようとその気にさせることが大事なんですよ。
失礼ながら、田淵さんは天才肌というイメージが強かったんです。しかし実は、とことん考えるタイプだったのですね。
- 田淵
- それはね、イメージなの。一度、印象付けられると、他の面を持っていても隠れてしまうんだ。それで私の場合は「そのイメージで通しちゃえばいい」って思うタイプだったから、マンガにもなっちゃったしね(笑)。野村克也さんに「お前は長嶋型だな」って言われたから「ハイ、そうなんですよ」って答えた。そこで「いや、違う。僕はこうなんです」って言っても仕方がないんだ。
私たちもそのイメージにとらわれたのですね。では最後に、現役選手で球を受けてみたい投手、対戦してみたい投手というと?
- 田淵
- 藤川球児だね。彼も真っすぐがめっぽう速いけど、果たして江夏と比べたらどんなものか。そして村山さん、村田兆治のフォークと比べるとどんなものなのか。これは捕手としても打者としても、興味があるね。
- 田淵 幸一(たぶち・こういち)
- 1946年9月24日、東京都出身。
法政一高、法政大を経て69年ドラフト1位で阪神入り。
1年目から強打強肩の捕手として活躍し新人王を受賞。
75年に43本で本塁打王、72年からは5年連続でベストナイン。78年オフに2対4の大型トレードで新生・西武へ。82、83年の日本一に貢献した。84年限りで現役引退。
16年間の通算成績は1739試合で打率.260、474本塁打、1135打点。
解説者を経て90~92年にダイエー監督。02年~03年に阪神のチーフ打撃コーチ。
08年の北京五輪では日本代表のヘッド兼打撃コーチを務めた。